17世紀に清という国をつくった、漢民族以外で日本でも馴染みのある民族の一つで、ツングース系民族である。
人口は1000万人を超えており、チワン族、回族の次に人数が多い民族となっています。
いわゆる旗人系として、他の蒙古八旗、漢軍八旗もひとくくりで満族とされているのが民族識別工作上での区分です。
日本でも広く知られている清朝時代のおおまかな流れですが、
まず明の時代が終焉を迎えた後、中国の歴史上珍しい満州民族による国家、清の時代へと移ります。
そして1930年代、清のラストの皇帝が日本の大きな関与のもと満州国が築きあげられました。
そういった時代背景があったため、日本においても関わりの深い民族であると言えます。
12世紀頃、中国全土のうちのおよそ北半分を収めた国・金を建てたと言われている女真族が、満州民族の祖先だと考えられています。
ベースは狩猟民族ですが、中国北部を拠点としていたことからも、隣接しているモンゴルとは交流が多かった様子。
そのエリア性も相まって、狩猟だけでなく農耕、牧畜、遊牧も行っていました。
諸部族が統一されて満州国となり、その後の発展が満州文字の確立などに繋がっていきます。
一時代を築いた清の時代には公用文字の一つとして扱われていました。
ただ、実際のところ北京の民間では他の公用文字が多く使用されていたと言います。
また、時代背景もあり漢民族の中では満州語、満州文字を学ぶことはかなりの制限がかけられていました。
したがって歴史の研究における満州文字での記録は非常に貴重かつ重要だと認識されています。
日本人が中国人の服装をイメージする際、まず有名なのがチャイナドレスです。
しかし、中華人民共和国の90%以上は漢民族で、チャイナドレスは漢民族の民族衣装ではありません。
中国の伝統的な衣装ではなく、満州民族の民族衣装が大元となっていて、そこに西洋の要素が混じった服を指しています。
そしてさらに、そもそもチャイナドレスという言葉自体も和製英語です。
いわゆるチャイナドレスを中国語で表現すると「旗袍」となります。
生地については、絹がメイン。襟やボタン、スリットについても様相は様々であることも日本ではあまり知られていない事実です。
時代によって流行の違いもあるというのが実際なのですが、日本ではスリットの深い特段優雅な服=チャイナドレスという印象が強いと言えます。